〜 歴史に詳しくない人が 史実を分かった気になれる解説 〜

<※おとわり>この解説は『分かりやすさ・面白さ』を旨とした為、

辞典のように厳密ではない事をご了承下さいm(_ _)m 


 
 
   ヒデヨシに、イエヤス ・ ・ ・  歴史的人物達の意外な結末、いかがでしたでしょうか?
 
あえて偽名にしたので分らなかったかもしれませんが、
実は主人公夫婦にもモデルがいます。 柴田勝家と お市 です。
 
 一部の読者の方は 『 賤ヶ岳の戦い 』 ・ 『 北ノ庄城 』 ときた時点で気がついて、
「 あー、この夫婦はバッドエンドを迎えるはずだわ…」と、対ショック態勢をとりながら読んでくれてたかもしれませんね!
 
 
 
では マクラは このくらいにして、いよいよ史実を ひもといていきましょー (^-^) レチギョウ

 
◆ モデルとなった人物達の、真の相関図  (※いずれも略図)

 

      漫画との相違点が、 けっこう有りますよね! ご説明しましょう。
 

・相違点→ 生駒吉乃(≒キツノ)は信長の側室だが、お市(≒カツ)の母ではナイ。
 
吉乃が くの一というのも創作です。 でも
生駒屋敷は諜報活動とかやってたっぽいから、全く的外れでもないかも?? です。

 

 

・相違点→ お市(≒カツ)は 信長の娘ではなくて 妹 。

お市が つるぺた というのは創作ですが、長身の美女だったようです。
彼女は 浅井長政との間に、
漫画では妹だった 茶々、初、江
ごうの三女 を もうけます(浅井三姉妹)。
夫婦仲は良かったのですが
夫の謀叛を兄・信長に密告したらしく、浅井家は漫画同様に滅んでしまいます。
(※余談ですが 時代劇などでの長政は、心優しいイケメンとして描かれるのがお約束。)

お市は子供達を連れて 織田家に戻りますが、
やはり男児の万福丸は 処刑されちゃいます・・・(´;ω;`)

 

 

・相違点→ 柴田勝家(≒タイチ)は 信長の父の代から仕える織田家古参の家臣。

勝家の生年には諸説ありますが、お市よりも20〜25才くらい年上のようです。
最初は信長の父・信秀に仕え、
信秀が亡くなった後は 信長の弟に仕えました。 

ところで。 その頃の信長は
じいやを自殺させちゃうほどのうつけ者だったので、
「弟の信行様が家督を継いだ方が いんじゃネーノ?」と周囲から思われていました。

勝家ら大多数の家臣達は、信行を担いで反乱を起こすのですが(稲生の戦い) ・ ・ ・
うつけ者だとばかり思っていた信長にキャインと言わされてしまいます。
                                                                         ((((;゚Д゚))))あ…ありのまま(中略)何を言っているのか(ry

「信長、スゲェ!!」と悟った勝家は、
せっかく赦免されたのに まだ家督を諦めない信行を見限ります。
織田家を継いだのが 兄と弟のどちらなのかは言うまでもありませんけども、
勝家は信行殺しに協力して 家督争いの終結に貢献したのでした。

勝家には あまりの勇猛ぶりから 鬼柴田 の異名が有りましたが、
それは必ずしも先天的なだけではなくて
 信長を殺そうとしたのに許してもらった事への
頑張り からだったのかもしれませんねぇ…。

そんな勝家は、秀吉・利家ら若手家臣からは 親父殿 と頼られる存在でした。
旧姓・羽柴秀吉の「」の字は 勝家へのリスペクトだし、
利家が織田家から2年間追放された時、 何かと世話をしたのも勝家でした。

・ ・ ・ 話が 長くなりましたが、つまり勝家は織田家の古株であり、
お市の事は ようじょ期から来し方までよーく知っていた事になります(タイチとは違いますね)。

しかし、勝家にとっての お市は主君の妹、雲上の お姫様。

 身分違いの この二人が夫婦になるには
1582年の、あるエポックを待たなくてはなりません ――――

 

 



 ◆   エポック 〜 本能寺の変 〜

1582年、 本能寺の変が起こります。
(※やらかした明智光秀は 細川ガラシャの父だったりします)

この事件こそが 前述したエポックってヤツです!
織田信長が死に、それが
秀吉に ありえないはずの飛躍をもたらしてしまうのです。

しかし 秀吉がすんなり後継者になれたかというと、そうではありません。


◆ おみこしワッショイ 〜 賤ヶ岳の戦い 〜

信長の嫡男・信忠は 立派な跡継ぎでした。
しかし本能寺の変の時に少し離れた所にいた信忠は、
逃げずに多勢の敵を迎え撃ってしまい無駄死にしちゃいます。

信長には11男までいたのですが (゚ο゚)ビッグダディ!!
死んだ嫡男以外の遺児は?お飾り?の威光しかなく、
織田グループの実質統治には役者不足でした。

家臣たちは 各々「みこし(遺児たち)」をかついで、我こそは主導権を得ようとします。

こうしてワッショイワッショイ繰り広げられる事になる
争いの1つが『賤ヶ岳の戦い』であり、

秀吉は それらを制して やっと天下人に登りつめるってワケです。

 ←これらについてのざっくりとした解説(click!


 ◆ 天下統一後の相関図 (※略図)

 
 
 
天下統一の偉業を果たした秀吉ですが やがて暴君になってしまいます。
誰も望んでいない朝鮮出兵も、秀吉が死ぬまで続けられました。
 
秀吉が生前に為した暴虐は、
豊臣王朝を短命に終わらせる遠因になっていると思います。
 
陳腐な表現ですが「親の因果が子に報い」てヤツでしょうか。 
 
こうして戦国時代は 完全に終わり、250年にわたる江戸幕府の治世が始まるのであります。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
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